鉄道の先覚者
と、いきなりこの写真はなんなんだ!という感じですね。
これは春に誘われて京都にお花見に行った時の写真です。
山科から醍醐の花見で有名な醍醐寺に行った後、
円山公園の桜も見に行こう!と円山公園に抜ける際、
高台寺の近くを通り抜けた時の写真です。
ところで、私は学生時代から日本史とは縁遠く、
特に大学は西洋史系に進んだもので、
受験に関係の薄そうな幕末あたりに関しては
全然分かっていなかったんです。
しかも、普通、少女マンガやゲームでも定番の題材の
新撰組もなぜか上手く避けて通っていたようで(笑)
全っ然、興味がなかった訳です。
ごくごく一般的な基礎知識レベルです。
それなのに、今は栗塚旭さんの土方もの、
毎日テレビでしっかり見ていたりしますが。
(失礼ながら、ギャップ萌え…萌え? 系の方ですよね。
ご本人との落差加減が面白くて、ついつい見てしまっています)
そんな私が、たまたま道を抜けて出た所にあった
月真院という所の入り口で、こんな石碑に偶然目が行きました。
「御陵衛士?」
なにか引っ掛かるものが……
で、立て札を読んでみると、あっ、
新撰組から離脱した伊東甲子太郎が興した尊皇一派か!
こんなところに屯所があったんだなぁ…
いや、さすが京都。
歴史が今に生きている町です。1200年の都です。
でも誰も足を止めていないな(笑)。
新撰組ファンからすると悪者だしね。
そういえば明後日の「燃えよ剣」、ちょうど油小路だな。
.
……
すみません。
皆さん、いい加減イラッ!としてらっしゃいますよね。
これ、全部前置きです(笑)。
で、本題はですね、この石碑の横の、更に小さい石碑、
こちらの事だったんです。
小さい石碑な上に、手前でツバキの札が邪魔しちゃってます。
ごらんいただけますか。
「鉄道先覚者 谷暘卿先生墓所」
谷暘卿? 十河さんとか島さんなら知っているが、谷暘卿?
ググってみたら、谷暘卿(たにようけい)、
幕末から明治期の丹波のお医者様だそうです。
大隈重信と伊藤博文の指示のもと、鉄道建設の為にと
外国の力と知恵を借り、資金として外債発行を発行する事が
国民の知る所となり、世論は騒然、
鉄道の導入に対して反対する声が政府内にも多かった折、
ただ一人、市井の方ながら、
鉄道の可能性に気づき、今後の日本の産業の発展の為にも
大いに鉄道事業を進めるべきであるという、
鉄道布設に賛成する建白書を提出された方だそうです。
明治五年(1872年)、新橋−横浜間に鉄道が開通し、
結果として国民は鉄道の素晴らしさを理解する事となりました。
そういう事もあり、この谷暘卿という方は
「鉄道の先覚者」と呼ばれているそうです。
いやー、なんだかちょっと感動ですよね。
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