最後の疾走中〜ありがとう、オリエント急行
とうとうこの日が来てしまいましたね。
今、これを書いている現在の時間は午後2時半を回ったところ。
冬時間の今、ドイツ・フランス地域の現在時刻は
2009年12月12日の午前6時30分を回ったところ。
とうとうこの日が来てしまいましたね。
今、これを書いている現在の時間は午後2時半を回ったところ。
冬時間の今、ドイツ・フランス地域の現在時刻は
2009年12月12日の午前6時30分を回ったところ。
昨日はついつい気の早いタイトルで書いてしまいました〜
冷静になってみると、自分ツッコミ入れたくなりました。
まだまだ四カ月も先の話なんですよね。
で、本家オリエント急行の写真、もっと何かないかなー
などと、古いアルバムをごそごそ、
旅行記念モノ入れをごそごそしていたら、
別の夜行列車の写真を見つけました。
それが上の写真なのですが、
EN466/467 のヴィーナー・ヴァルツァーです。
(Wiener Walzer つまりウィンナ・ワルツですね)
当初、CityNightLineだったか何かで、
オーストリアの看板夜行列車の一つだったようですが、
その後何の変哲もないユーロナイトとなりました。
現在はオーストリア国鉄とハンガリー国鉄共同運行便で、
車両もオーストリア車、ハンガリー車が併結されています。
オーストリア車の寝台の写真を見ると、かなーりきれいな
現代的な(悪く言えば無機質な)感じでした。
しかし、写真は、あはははは、ハンガリー車です。
座席車です。貧乏なので。
かなーり短い区間の表示になっていますね。
ヨーロッパネタが続くので、今日は何か国内ネタを…
と思っていたのに、またもヨーロッパネタで恐縮です。
なんだかいつもとお客様の訪問の感じが違う…
となんとなく感じていました。
で、皆さんが読まれている記事を見たら
以前書いたオリエント急行の記事だったのでまた不思議に思い
リンク元を見たら「2」の転送URLでした(笑)。
「またバカとか何とか、晒されているのかな」とか思ったら、
もっと悲しい事になっていたんですね!
(いえ、リンク貼られていた事ではなくて)
今日の事件の発端はこの記事でした。
「オリエント急行」年内廃止=コスト高、126年の歴史に幕?英紙(時事通信) - Yahoo!ニュース
8月23日5時31分配信 時事通信
【ロンドン時事】22日付の英紙インディペンデントによると、アガサ・クリスティの推理小説でも知られる夜行列車「オリエント急行」の運行が、今年12月に廃止される。戦争による停止や路線変更など曲折を経ながらも欧州鉄道史に輝かしい足跡を残してきたが、夜行のコスト高もあり126年の歴史に幕を下ろすことになった。
オリエント急行は1883年に運行開始。1930年代の最盛時には仏パリとトルコのイスタンブールを結んでいたが、第2次世界大戦後は自動車や飛行機の発達で縮小の一途をたどり、2001年にはパリ〜ウィーン間に、07年には仏ストラスブール〜ウィーン間に短縮された。
12月12日午前8時59分ストラスブール着の列車を最後に、時刻表から完全に姿を消す。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090823-00000005-jij-int
寝台&夜行特急に初めて乗ったのは海外、
というのは珍しいパターンかとは思いますが、
日本では初めて乗った寝台特急がサンライズという
超初心者です。
昔は棚になった寝台が怖くて、サンライズを選んでました。
こんな私が上の写真の特急ヘッドマークストラップで
狙いを定めていたのはサンライズ瀬戸の前身、
瀬戸ではなく「日本海」と「あかつき」でした。
なんとなく、馴染みと思い入れがあったもので…
初めて乗ったブルートレインはこの日本海でした。
このところ国内の鉄道の話が続いていたので、
今日は久々に軽く海外の鉄道のネタにしようかと思います。
と、言ってもまたも切符の写真です。
鉄道旅行の話をするにしても、
海外の事では皆様、あまり興味はないかなー
…と、ちょっと及び腰気味ですね(笑)。
で、上の写真はたまたま見つけた
生まれてはじめてTGVに乗った時の指定席券です。
以前、このブログでも記事に書きましたが、
銀色のTGVに乗りたくて、わざとパリを迂回する
リヨンからマルヌ・ラ・ヴァレーのルートを選んだ時のもの。
なぜかスイスの会社で予約しているんですね。
それもそのはず、日本の旅行代理店を通じて予約しました。
現地予約でないぶん、
項目がきれいに印字されていて読みやすいですね。
前回、私がはじめて乗った夜行列車、
いまはなき「急行ちくま」の話題を書きました。
今日はその時の続きをもう少しだけさせて頂きます。
そんな訳で、
4時過ぎ、まだ夜も明けないうちに松本に着いたちくま。
終点の長野までは行かず、私はここで下車しました。
そして私の乗り継ぎ相手は、この列車です…
……って、全然文字、読めませんね(笑)。
察して下さい、この何の飾り気もない白地に黒文字だけで。
先日来、夜行列車の話題が続いていますが、
何とぞもう少し、ご容赦下さいませ〜
ある写真を探して、我が家のデジタル・アナログの画像を
徹底的に引っ掻き回している最中に見つけました!
ないのだろうと思っていた、
私が初めて乗った夜行列車の写真です。
後にこんなサイトを作るようになるなんて知っていたら、
今まで乗った列車を全てカメラに収めていたでしょうに、
まだ「知らない場所で鉄道に乗っているのが楽しい」
というレベルだったので、たいした写真がないのです。
にもかかわらず、幸い数枚の写真が残されていたんですね。
いまや稼ぎ頭の「ムーンライトながら」ですら臨時扱いとなり、
ブルトレ同様、すっかり脇へと追いやられてしまいつつある
夜行快速「ムーンライト」ですが、
長距離を18きっぷで旅をするようになって、
ありがたみを理解出来るようになりました。
最初は日中便で8時間、9時間超の旅をしていたのですが、
そんな時、思いきってムーンライトを使って愕然!
ああ、観光する時間がたっぷりある!!
長々とクロアチア旅行について書き過ぎたので
今日は軽い話題を…と思っていましたが、
ついでなので、最後にちょこっと記録の意味も込めて
クロアチアの写真を載せておきます。
まず、これ、ドゥブロヴニク到着翌朝のホテルからの眺めです。
暗くなってからの到着だったので、
灯りの少ないクロアチアでは景色が一切分かりませんでした。
ところがだんだんと空が明るくなると…
アドリア海の真珠! 南の景色です。
左手が旧市街です。
ところで、当時の旅行メモを見つけたのですが、
スプリットからはザグレブまで列車もあったのに
なぜバスで行ったかが分かりました(笑)。
とにかく列車も少ないので、選択肢が少なく、
スプリットを11時40分に出る列車を選ぶと
ザグレブ着がなんと20時50分、
21時初のミュンヘン行き夜行にギリギリなのと
スプリットに11時40分までに着こうとするなら
ドゥブロヴニクのホテルを7時前に出る必要がありました。
だったら、全部バスでザグレブに行った方が速いですし、
夜行に余裕を持って乗った方が、心臓にも良いですしね。
やっぱり旧東欧の列車は遅れる事を考慮に入れた方が
後々いろいろと助かる事があると思います。