クロアチアからの夜行列車の料金
長々とクロアチア旅行について書き過ぎたので
今日は軽い話題を…と思っていましたが、
ついでなので、最後にちょこっと記録の意味も込めて
クロアチアの写真を載せておきます。
まず、これ、ドゥブロヴニク到着翌朝のホテルからの眺めです。
暗くなってからの到着だったので、
灯りの少ないクロアチアでは景色が一切分かりませんでした。
ところがだんだんと空が明るくなると…
アドリア海の真珠! 南の景色です。
左手が旧市街です。
ところで、当時の旅行メモを見つけたのですが、
スプリットからはザグレブまで列車もあったのに
なぜバスで行ったかが分かりました(笑)。
とにかく列車も少ないので、選択肢が少なく、
スプリットを11時40分に出る列車を選ぶと
ザグレブ着がなんと20時50分、
21時初のミュンヘン行き夜行にギリギリなのと
スプリットに11時40分までに着こうとするなら
ドゥブロヴニクのホテルを7時前に出る必要がありました。
だったら、全部バスでザグレブに行った方が速いですし、
夜行に余裕を持って乗った方が、心臓にも良いですしね。
やっぱり旧東欧の列車は遅れる事を考慮に入れた方が
後々いろいろと助かる事があると思います。
物価もずいぶんと変わっているのかも知れませんが
旅行時の家計簿メモを見ると、当時の事を思い出します。
内戦前は東欧でも指折りのリゾート地だったのですが
内戦集結後7年足らずで、まだ修復も十分ではありませんでした。
旧市街で市が立っていました。
人は多いのですが、どの店もこんな感じです。
結構淋しい品揃えです。
トルコ風コーヒー100グラム162円、ココア63円、
干したイチジク(写真手前の女性が売っているものです)
紐に通した1本、205円。
ハムとパンとトマトを買って250円。
ホテルはハプスブルク統治時代から続くインペリアル。
(現在は修復されてヒルトン系列)
内戦前の電話番号にFAXで予約しました。
ちゃんと返事が来たので「営業していた!」と喜んだのですが
行ってみると、清潔ながら質素な家具のシンプルな部屋、
「えええ〜 これ、ホントにホテル・インペリアル?」
夜が明けて朝食の為に別棟に行く際、振り返って見ると
私が知っていた豪華な本館は爆撃で破壊されて、修復工事中。
我々の部屋は、新しく民家を改装した別館での営業でした。
それでも朝食は銀の食器で、
きちんと大勢の給仕に囲まれてとりました。
2泊で15,170円。USドルでの会計でした。
ザグレブ駅でミュンヘンまでの夜行列車、リジンスキーを予約。
クロアチアとスロベニア国境までの乗車券と寝台料金
(1等寝台 4人個室)、
2人で282.72クーナ、日本円で5,832円でした。
その後追加で、スロベニア国内の運賃(約2,270円)と
スロベニア〜オーストリア〜ドイツの寝台料金(約4,790円)を
ドイツマルクで国境を越えてから車内で支払いました。
オーストリアとドイツの運賃はユーレイルセレクトパスでOK。
ですので、ザグレブからマリボル(オーストリア国境)の運賃と
ザグレブ〜ミュンヘンの寝台料金で1人6,500円程の追加でした。
やっぱり安いですね。
日本のB寝台の料金(6,300円)と変わりません。
ちなみに車内で飲んだコーヒーは1杯126円でした。
.
これは城壁に登って見た旧市街。プラツァ通り。
中世からの自由都市、ドゥブロヴニクのメインストリート。
この旧市街全てが世界遺産です。
でも、まだ爆撃の後はありありと。
碧いアドリア海と沖のロクルム島。
バスの窓から見たアドリア海。
これは、過去の記録。
城壁にひっそりと付けられている世界遺産マーク。
私が訪れた時、まだここは
「危機に瀕した世界遺産」の指定を受けていました。
この旧市街の地図の赤い部分全て(町の80%)が
空爆で破壊されてしまった部分です。
この直後に危機遺産指定は解除されました。
修復が進んだ今、
このプレートの赤い部分はごくわずかとなっています。
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ドゥブロヴニクに2泊したということは一日観光できたのですね。
黒く焦げた窓が悲しいです。
でも、紺碧のアドリア海と白い壁と赤い屋根。
戦争で傷ついても美しさは伝わってきます。