ちょっと衝撃だったバスの旅・2

クロアチアの地図?
クロアチアに自由旅行をした時の話の続きです。
毎度、書き始めると長くなってしまい、すみません。

しかも、ずっと7年近く前の事だと思っていたのに、
母に「フランスでのW杯の年だった」と
訂正されてしまいました。
うわぁ、10年前の事だったんですねぇ… 成る程。

ドゥブロヴニクからザグレブまで、
当時は12時間半かかりましたが、今は
道路とトンネルの整備のおかげで11時間だそうです。

あの雪山を越える事が無くなったんですね。
一番の難所の峠越えをトンネルで短縮化したそうです。
復興と進歩、便利になって嬉しいような、淋しいような。

ところで、上の地図、この赤線で囲った所がクロアチアです。
地図に適当な書き込みで申し訳ありません。
島が多いので、海の方は特に大雑把です。


しかしあの時は長い旅でした。
途中、休暇なのか除隊なのか、若い兵士が大勢乗って来て
車内がとても騒がしくなって、困ったなぁと思っていたら
1人のおじいさんが兵士達に一声、何か文句を言いました。

私は驚いて、その次には、こんな血気盛んな若い兵士達に
逆にひどい目に合わされるのではないかと心配になりました。
ところが、兵士達は全員それからは静かになったのです。

年上を敬うという、とても普通な事が、
ごく普通にそこにあった事にとても驚き、感動しました。

.
次に衝撃を受けた事。
上の地図の赤い囲みを見ていると、
あれっと思われる方もいらっしゃるでしょう。
私は国土が飛び地になっているとは実は知りませんでした。

ネウム周辺部拡大
この辺りです。右下のドゥブロヴニクから
左上のスプリットまで走るはずなのですが…
「なんか国土が切れてる気がする」とは思っていました。

そしていざ、バスで首都に向かう事となった時、
改めて「あれ、やっぱり切れてたよね。バス、どうするの」
と気になり出しました。
丸の部分のちょっと上にモスタルという地名が見えます。
…そうなのでした。

バスで走りつつ、
「まさか…まさか、入らないよね?」と思っていました。
当時まだ外務省では渡航自粛を勧告していたと思います。

バスは明らかに何か国境と思われる所にさしかかりました。
国旗掲揚台が横にある小さな建物の壁の手前側には
クロアチアの国旗の付いた紋章が掲げられています。
そこを通ると向こう側に、花輪がいくつも置かれた
石碑を上に載せた、小さな石を積み上げた台が見えて来ました。
そこに小さく刻まれていたのは
「ボスニア=ヘルツェゴビナ」という文字。

…あああ、やっぱり…

時はボスニア・ヘルツェゴビナ戦争集結から15カ月の後でした。
セルビア(ユーゴ)の空爆から7年が経過したドゥブロヴニクは
もう、ずいぶんと戦争の痛手から立ち直ったように見えました。
しかしこのネウムという地域はまだ、
その傷跡をさらけだして、そこにありました。

銃弾の穴だらけの壁の、こわれかけた家、
焼けたまま、そこに捨てられた乗用車、
まだ地雷が埋まったままの道。
一枚も写真は撮りませんでした。
通りすがリの外国人が撮っていいものとは思えなかったので。

もう内戦も終わり、復興も進んだだろうと思って
待ちわびて出かけたクロアチアでしたが、
なかなかに衝撃的な風景でした。

他に産業を持たない、観光が主な産業という
ダルマチア地方ですから、観光で行くことは復興にも良いのですが
それでも、ちょっといたたまれない風景でした。

ここには今はボスニアを通らないように橋が建設されています。

.
ちょっと重い衝撃になってしまったので、
最後にもう一つ、豊かな自然の衝撃を。

クロアチア写真
3月のアドリア海は、もう春の色でした。
濃紺とエメラルドグリーンの海と暖かな日ざし。
オレンジの実が緑の葉の陰にたわわに実っています。

しかし、クロアチア沿岸部は山がちなのです。
ザグレブへ行くには、この山を超えねばなりません。

何、この極端な風景は?
エメラルドの海と背後の雪山は。
本当にバスは雪山を登りました!雪の中で休憩しました。

.
ちなみにスプリットも世界遺産。
確かローマ皇帝のディオクレアヌス帝の故郷です。

旅行は当初、南イタリアのバーリからフェリーで
ドゥブロヴニクに入る予定でしたが、母が嫌がりました。
「共産圏の船なんて…なんか怖い」

ザグレブ行きのバスは最初にスプリットで休憩を取ります。
窓の外に港と真っ白な船が見えました。
……あれ、港になんか船、いるよ。
あ、「ヤドロリニヤ」だ。
乗るはずだったクロアチアのフェリーだ。
ヤドロリニヤ
ここで母が一言。「次、あれ、絶対乗ろう!」ええ!?

ヤドロリニヤの前で
世界遺産の町と
大きく豪華なヤドロリニヤのクルーズ船を背景に。

.
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2 件のコメント »
  1. 詠さんこんばんは。←昨日はまねしてスミマセンでした

    悲しい歴史ですね・・・。
    戦争はきらいです。
    宗教や人種や貧富の差や負の連鎖がある限り戦争は続くのでしょうか。
    悲しくなります。

    ボスニア・ヘルツェゴビナ戦争集結から15カ月の後の旅とは。
    さぞ生々しい痕跡が残っていたことでしょう。
    写真を撮られなかったご心情、お察しします。

    それにしてもお母様は凄いかたですね!
    バイタリティありますね。

    ところで詠さんの目は良くなったのですか。
    心配です。あまり無理をなさらぬよう、マイペースで更新、レスしてください。

    コメント by ポン・ション — 2009 年 3 月 25 日 12:30 AM
  2. ポン・ジョンさん、こんにちは。
    海外に行くと、本当に日本は幸せだな、と思う事があります。
    旧東欧の記念物を守る少年兵(中学生ぐらいの子達が銃を持って立っていました)なども
    心が痛くなる風景でした。
    実際に一番怖かったのは
    「あ、舗装道路から外に出ちゃダメですよ。
    地雷埋まってますから」という車掌さんの言葉で、
    思いきりビビらせて頂きました。

    目は大丈夫です。ご心配頂き、ありがとうございます。
    ブルーベリーとヒアルロン酸と目薬でドーピングしました!

    コメント by 詠 — 2009 年 3 月 25 日 10:51 AM
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