思い出の郊外列車ヘーヴとお城
以前、ここに書いたことがありますが、
東欧を自由旅行でウロウロし始めた頃、
ハンガリーの首都、ブダペスト(現地読みでプダペシュト)の
郊外で、公共の交通機関のダイヤを狂わせたことがあります。
ブダペストと郊外を結んでいる、郊外列車ヘーヴの南の路線、
ブダペストの外れ、ヴァーゴーヒードから
ドナウの中洲にあるラーツケヴェまで走っている列車です。
その列車と問題のラーツケヴェ駅の写真です。
ラーツケヴェに泊まって、ここからわざわざ1時間半かけて
ブダペスト観光に行っていました。
で、ここを発ってウィーンに移動しようとした日の朝に
ホテルのじいちゃんがぐずぐずしていて
清算がいつまでも終わらずに、これに乗り遅れそうになったのです。
後から出勤して来たおじさんのおかげで列車が待っていてくれました。
でもこの事件のおかげで
東欧の列車がダイヤ通りに走らない理由の一端を見た気がしましたし
決してあれはいい加減なだけが原因じゃなかったんだなぁ、
と、東欧の人々の気持ちの暖かさ、おおらかさも知りました。
.
ところで私はなぜ、こんな所に滞在していたのか。
実は、ここにバロックのお城を改造した(社会主義時代にひどい姿に)
美術館があって、宿泊する事もできるそうだよと聞いたからです。
オーストリアではかなり有名な、ある歴史上の人物がいるのですが
その人のファンでして(笑)、確かこの地に領地を賜った事があり
そこを訪れる事はなかったにせよ、城を建てさせたと
読んだ事があったので、「もしや」と思ったのです。
それがこれ。
コンクリ鋪装なのはがっかりですが、
メインの建物は堂々たるバロック建築です。
バロックの城といえば、広大な庭園がつきものですが、
ここにはありません。
てくてくと裏に回ってみたら汚い(笑)空き地と道路でした。
ここを復元して大々的に営業したら、
ドイツ人が喜んでやって来そうなのにな〜と思ってみたり。
私の予想は適中、このお城は「サボイ城」と呼ばれていました。
門にかかっている看板でもうひとつ発見。そうかぁ!!
どうやらこのお城はウィーンの観光目玉の一つ
ベルベデーレ宮殿を作ったルーカス・フォン・ヒルデブラントの
建築だという事だそうです。(あれ、エアラッハの方だっけ?)
とりあえず、宿泊部分も広ーーーいです。
私が泊まった日は我々以外にもうひと組、中年のご夫婦だけでした。
天井は高く、旧東欧ですから灯りもほの暗く、
廊下は延々と続き、端の方は暗〜くて……
バロックというよりゴシックです! ゴシックロマンです!!
しかも、お風呂にお湯が出ない!
どう言えばいいんだ、と思いつつ暗い廊下をフロントへ。
「お湯 ない ない ない」と訴えると、
フロントに居たおっちゃんは
(勤務しているのはみんな私服のおっちゃんばかりです)
両手を広げて「ここは広い」というような動作をした後、
「お湯」と言って、蛇口をひねるジェスチャー。
そして「ちゅちゅちゅちゅちゅ…」と言いながら
指で歩くようなジェスチャー…で、「ここ」と指は止まります。
わかったわかった(笑)。
そうか、広いんだな。しかも今日は2組しか泊まっていない。
お湯はボイラー室を出て、こちらに向かっているけれど
まだ最初のカーブに達していない訳か。了解。
オーケー。
なんとも呑気でいいですね。
ちなみに住所・電話番号を調べて、FAXで予約したいと送ったら
国際通話で返事が来ました!!
うお!と思って居留守を使っていたら、
留守番電話にドイツ語でぺらぺらと喋ってくれました。
今まで、いろいろホテルにFAXしましたが、
電話掛けて来たのは後にも先にもここだけでした。
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