皇帝列車
ゆうべから今日にかけてはサッカーの
ワールドカップ予選が世界中あちこちであったので
あれこれ見ていて(聞いていて)とてーも眠いです。
半日ぐらいずーーっとネット放送をつけっぱなしで
自分では見ようとは思わないような
マニアックな(?)対戦まで見てしまいました。
その中で、旧東欧旅行好き的に気になった対戦は
チェコ対スロバキアでしょうか。
10年ほど前ならあり得なかった対戦ですよね。
そしてもう一つはオーストリア対ルーマニア。
オーストリアが勝ちました!
旧東欧の国はたいていサッカーが強いのに、
盟主ハプスブルクの本家はなんだか弱いので気になります。
と、無理やりオーストリアに話を持って行きましたよ(笑)。
で、上の写真、全体が写っていなくて恐縮です。
なにしろ突然&急いでいたもので…
これはかつてのオーストリアの皇帝が使っていた列車を
復元した「皇帝列車マジェスティック・インペレーター」
という観光列車(車両)です。
観光用というと、ちょっとげんなりですが、現在は
日本からのツアー等にも組み込まれたりしているようです。
右端にちょろっと、牽引の汎用電気機関車が写っています。
たまたま、テレビのニュースで
この列車の事をちょっとやっていたのを見ていたのですが、
乗り継ぎで急いで自分の乗る列車ホームに向かっていた所、
なんと向いのホームに試験運転中のコレが停まっていたので
あわてて一枚撮って、中をのぞきながら走りました。
復元、なのか修復、なのかイマイチ判らないのですが、
以前ドキュメンタリー番組で、第一次大戦後
オーストリア・ハンガリー帝国が瓦解し、
皇帝一家がウィーンを追放され、国外に逃れる際、
鉄道を利用していたという映像を見ました。
それを思うと、この列車も見ていると複雑な思いがします。
.
そうそう、
ちょっと前にこのサイトで話題にした
ハンガリーとオーストリアの国境の湖、ノイジードラー湖ですが、
その記事中で「東欧崩壊のきっかけとなった
ヨーロッパ・ピクニック計画の舞台となった」と書きましたが
その計画、夏休みのある日、国境の鉄条網を開けて、
東独やハンガリーの人々を、オーストリアに逃がした計画、
それを企てて実行した立て役者はオットー殿下でした。
600年続いたハプスブルク皇帝の最後の皇太子、
EUの元となる考えを持っていたハプスブルク家の最後の王子は、
1989年にこの多民族・多宗教・多言語のゆるい共同体の道を
東欧の社会主義だった多くの国家にも再び開きました。
ちなみにオットー殿下はヨーロッパ議会の議員さんでした。
.
まぁ、実際の一番の問題としては、
この列車にどうやって乗ろうか、という事なんですけれどね。
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さすがはお嬢様、博識でらっしゃいます。
私なぞ、ただただ感心するばかりでございます。
皇帝列車ですかぁ。
ハプスブルク家のお召し列車でしょうか。
中だけでもみたいですねぇ。。
長ったらしい話で申し訳ございません〜
お召し列車の復元?だそうです。
まだ営業開始前で、駅で見かけた時は
「おおっ、アレかっ!」と興奮しました(笑)。
昔のトワイライト・エクスプレスっぽい感じで
どうもツアーかなにかでないと無理そうです。