ベルリン・忘れられない記憶
今日は世界陸上のマラソンの日だったんですね。
オーストラリア対ニュージーランドのラグビーの試合を
真剣に見ていたので(やっぱりこの対戦は面白い!)
かなり時間が経つまで気づかずにおりました。
たまたま偶然なのですが、
一昨日のヨーロッパ・ピクニック計画の記事のついでに
旧東独の話をさせて頂こうと思って写真をスキャンしていました。
我が家の古いアルバムにある、
ある町の過去の風景です。
私はなんで戦車や高射砲が置いてあって、警護の兵士が居て、
また、狭い町の広い広い場所には他国の兵士廟がでんとあって、
少年少女が銃を持って立っているのだろう、
そしてなぜ自分達はこの柵の中に入ってはいけないのだろう、
などと色々な事が急に押し寄せて来て、何も判らなくて、
でもなんだか悲しくて悔しくて…という覚えがあります。
ここの写真は撮っちゃダメ、とか
人の写真も撮っちゃダメ、とか色々注意されていたのですが
子供だからま、いいよね、とこそっこそっと
時々写真を撮っていました。コワイもの知らずにも。
なので結構、斜めっている写真ばかりがあります。
後に写真を見た親に驚かれました。
なにしろチェックポイント・チャーリーの辺りまであったのです。
そうなんです。
今とは全く変わってしまった、あの日のベルリンです。
まだ壁があって、我々は西ベルリンに戻る際に、
一時間以上もかかって調べられました。
車の下はミラーで確認し、トランクは開けさせられ、
ガソリンタンクはフタを開け、棒でつついて確認します。
西側に逃げようという東ドイツの人間が潜んでいないかを。
遠くにうっすらと戦勝記念塔(ジーゲスゾイレ/勝利の塔)が見えます。
映画「ベルリン天使の詩」のあの場所ですね。
本当に人が少なくて、無気味です。この広い道も閑散。
ここは後側かな?
正面もこんな感じになっていて、
我々西側の人間は柵の前に貼り付いて、遠くに見るだけでした。
この門が統一ドイツの象徴のような存在なのも判ります。
私の好きなドイツのサッカー選手も旧東独出身なのですが
最後の東独式の教育を受けた世代だそうです。
ドイツでももう記憶が薄れて来ているようですが、
他国の人間ながら、あの時の恐さ、悲しさは
記憶の底から簡単に蘇って来ます。
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いつも楽しみに拝見しております。
昨日の女子マラソンではドイツ鉄道の401が2回も写りこんでいましたね
やじきたさん、こんばんは!
ありがとうございます。
ベルリンでのマラソン、同じ所をグルクホル
回っているだけでつまらないなぁ…と思ったら
時々ピカピカの赤い車体が映っていましたね〜
中央駅も「おおお」と思って見ていました。